声明・総会決議
裁判員裁判が始まる年を迎えて
新年を迎え、いよいよ来る5月21日から、裁判員裁判法が施行されます。すなわち、同日以降に起訴された法定の重罪事件については、国民から選ばれ た裁判員が、裁判官とともに裁判に参加することになります。昨年11月末には、まず今年の裁判員候補者名簿に搭載されたことを知らせる通知が送られ、山梨 県内でも約2300人に届きました。
「民主主義」「国民の司法参加」の理念に基づいて始まる裁判員裁判について、一部には「裁判員は数日間の時間を取られるが、いわば『お飾り』で、裁判員の 負担軽減を理由に裁判が『拙速』になって、被告人の防御権が犠牲になるだけだ。」などの反対の声もあります。確かに、裁判員制度は、現段階で、そのような 懸念がない完全な制度とは言えません。しかし、それゆえに、そのようなことにならないようにするために、裁判員裁判に何を期待するのか、これまでの裁判と 何が変わるのか、充実した審理をするために何が必要か、そして県民の皆様へのお願いなどについて、以下のとおり御説明させて頂き、御理解を頂きたいと存じます。
- 1.裁判員裁判に期待すること
- それは、裁判員が裁判に参加することによって、刑事裁判における判断に対する信頼性を高めることです。
- 刑 事裁判における第一の判断は、起訴された市民(すなわち被告人)について、検察側の立証によって有罪と証明されたか否か、を判断することです。刑事裁判で 最も大切なことは、「万一にも、無実の人を罰しないこと」ですから、その判断基準は、「疑わしきは罰せず」というのが近代刑事裁判の大原則とされていま す。したがって、有罪か否かの判断は、有罪であることに「合理的な疑問が残らないかどうか」をチェックすることです。
- 裁判員裁判では、そのチェックを裁判官3名だけでするのではなく、市民6名も加わって、評議してすることになります。
- 裁判官が神様・仏様であるならば、裁判官に任せておけば間違いがないと言えます。
- しかし、残念ながら、これまでも無実の人が有罪とされた冤罪事件がありました。例えば、最近では、富山の連続婦女暴行事件では、起訴された人が有罪とされて服役した後に、真犯人の自供によって無実と判明しました。
- 裁判官も人間です。「3人寄れば文殊の知恵」といいますが、人間である以上は、経験の限られた職業裁判官だけで判断するより、幅広い経験を有する市民6人も加わって、様々な角度から意見を交換したうえで判断した方が、確実に間違いが少なくなります。
- つまり、裁判官3名だけでなく、多様な経験を有する市民6名によっても、起訴された人が有罪であることに疑問が残らないかどうかチェックされることで、間違いが少なくなり、信頼性が高くなることを期待しています。
- 2.裁判員裁判によって変わること~「調書裁判」からの脱却
- 前記のように、判断をする人の数が増え経験が幅広くなるということの他に、判断をする人にその判断材料を提供する方法が大きく変わるということがあります。
- これまでの刑事裁判では、その判断材料がどのようなもので、どのように用意され、どのように提供されてきたかといいますと、まず、その判断材料、すなわち証拠の中心は、「供述調書」と呼ばれる書類です。
- 供述調書とは、警察官・検察官が取調室等で被告人等を取り調べて、その被告人等が話したこと(供述)はこういう内容であったということを、警察官・検察官が書いて、被告人等が最後に署名だけした書類です。
- したがって、その供述調書は、取調室という密室で造られて、裁判では、これが検察官から法廷で提出されて、裁判官は、裁判官室で調書を時間をかけて読むという方法で判断材料を得ていました。
- こ のような裁判は、「調書裁判」とも呼ばれていましたが、密室で作成された自白調書に基づいて、残念ながら、いくつもの冤罪事件が生まれました。例えば、富 山連続婦女暴行冤罪事件でも密室での自白強要によって自白調書が造られましたし、鹿児島選挙違反事件では、「踏み字」と呼ばれた方法で自白を強要されまし た。
- しかし、裁判員裁判では、沢山の供述調書を時間をかけて読んで判断する方法は取れません。裁判員裁判では、裁判員が法廷で 「見て聞いてわかる」方法で、証拠も判断してもらおうとしています。したがって、できる限り、証拠とする供述調書を絞って少なくし、法廷で、証人や被告人 を直接取り調べて、検察官だけでなく、弁護人や裁判官・裁判員からも質問をして、その答え、話を裁判官・裁判員が直接聴いて、その信用性などを判断しても らえることになります。
- 3充実した審理をするために必要なこと
- 裁判員裁判では、連日開廷によって短期間での審理が予定されていると言われています。しかし、これを充実した審理とするためには、克服すべき多くの課題があり、主な点だけでも、次のようなことが必要であると考えられます。
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- 1)取調べの全過程の録画
- 法廷に証拠として提出される供述調書が絞られて少なくなると言っても、証拠の中心は、被告人の供述調書です。
- その供述調書が、取調室という密室で自白を強要されて作成されると、審理を誤らせることになります。例えば、富山の連続婦女暴行冤罪事件では、自白強要によって自白調書が造られて、誤った裁判がなされました。
- ま た、少なくとも被告人が自白を強要されたと主張して、その調書を証拠として採用できるか否か、信用性があるかどうかという点が争点になると、短期間で充実 した審理をすることはできません。例えば、鹿児島選挙違反事件では、「踏み字」などの方法が報道されましたが、自白調書の信用性を争って、起訴から判決ま で3年半余りもかかりました。
- このような密室での自白強要を避けるため、またその点が争点となったときに取調べの全過程をチェックできるように、取調べの全過程を録画することが必要です。
- 2)捜査側手持ち証拠の広範な開示
- 被告人を起訴するまでに捜査側(警察・検察)は、被告人だけでなく、多くの関係者の供述調書をとったり、その捜査権に基づいて、あらゆる証拠を集めていま す。検察官は、その沢山の証拠全部を見たうえで、有罪を証明するために役立つ証拠と検察官が重視する情状に関する証拠を選んで、法廷に提出します。
- 法 廷で、それだけを調べるのであれば、一方的な判断材料しかないので、審理は早く終わりますが、充実した審理にはなりません。公判(裁判員がいる公開法廷で の審理)の前に、弁護人も、検察官が持っている関係者の調書など沢山の手持ち証拠を見ることができて、初めて、被告人側から争点になることが明らかになっ たり、その争点についての証拠を整理することができます。
- すなわち、公判前に、争点を明らかにし証拠を整理するために、検察官の手持ち証拠が弁護人にも広く開放されることがまず必要です。
- 3)被告人の早期の保釈(身柄の解放)
- 公判前に争点と証拠を整理し、立証計画を立てるためには、弁護人は、捜査側の証拠について、被告人から話をよく聞いて、それぞれの証拠に関しても被告人の 知っていることを聞き取らなければなりませんが、被告人が勾留されたままでは、時間的制約もあって、十分な事情聴取ができませんので、被告人が早期に保釈 されなければなりません。これまでの「人質司法」と呼ばれたような運用(被告人が否認する限り勾留し続けて保釈しないことが多い運用)は、改善される必要 があります。
- 4)短期間での審理終了を大前提としないこと
- 裁判員裁判においても、最も大切なことは、誤った裁判をしないように充実した審理をすることであり、裁判員のために短期間で審理を終わらせることが裁判の目的ではありません。
- 前記の1)乃至3)の必要条件をととのえることにより、充実した審理となって、その結果として、審理が短期間で終わるということであっても、審理を短期間で終えることが目的となっては、本末転倒です。
- 充実した審理に必要な時間は確保しなければならず、充実した審理を時間で切ってしまえば、充実した審理とは言えません。
- すなわち、裁判員の負担を強調して「拙速」裁判をすることにならないように、注意しなければならないと考えています。
- 4.県民の皆様へ
- 県民の方が裁判員となることについて抱かれる不安の一つは、「証拠に基づいて、有罪か無罪か判断する」なんて難しいことが自分にできるんだろうか,という不安だと思います。
- こ のような不安は、人間であれば、誰しもが当然に抱く不安だと思います。例えば、その人が本当に犯人なのかどうか、人間は、神様ではないので、本当にその時 にあった真実は分からないことがあるからです。証拠を調べてみても、「とても疑わしいが、犯人であると確信が持てない。」ということがあるはずです。
- しかし、人間による裁判では、まさにそのようなことがあるからこそ、前記のとおり、「疑わしきは罰せず」「疑わしきは被告人の利益に」という近代刑事裁判の 大原則があります。「有罪か無罪か」を判断するということは、比喩的に言えば、「黒か白か」を判断するということではなく、「真っ黒か真っ黒でないか」を 判断することです(アメリカの陪審も、guiltyかnotguiltyかを判断するのであって、無実innocentと判断するものではありません)。
- したがって、灰色(乃至は黒っぽい色)に見える場合に、「黒か白か」判断しなければならないということはなく、ただ「真っ黒ではない」(すなわち「有罪であることに合理的な疑問が残るから、無罪」)という判断になるだけです。
- 裁 判員となる県民の方は、職業裁判官とは違った幅広い様々な経験をお持ちのはずです。その経験と常識に照らして、起訴された人が有罪であることについて、検 察官の立証によって間違いなく確信を抱くことができたか否か、合理的な疑問が残らないかどうか、チェックして頂きたいと思います。
- そして、有罪であることに疑問があれば、率直に意見を述べ、他の裁判員や裁判官と納得のいくまで協議のうえ、結論を出して頂きたいと思います。
- また、有罪であることに疑問が残らないときは、次に、刑の重さについて、同様に納得のいくまで協議のうえ、結論を出して頂きたいと思います。
- 県民の皆様には、裁判員となった時は、ご負担とは思いますが、より良き刑事裁判を実現するために、積極的に参加して下さいますようお願いいたします。
2009年1月1日
山梨県弁護士会
会長 石川 善一