声明・総会決議
死刑執行の停止及び死刑制度の廃止を求める決議
決議の趣旨
当会は、政府及び国会に対し、
1 速やかに死刑制度を廃止すること
2 死刑に代わる刑罰について速やかに議論し、これを導入すること
3 死刑制度廃止までの間、死刑の執行を停止すること
を求める。
決議の理由
- はじめに
日本弁護士連合会は、2016(平成28)年10月7日、第59回人権擁護大会において、2020(令和2)年までに死刑制度の廃止を目指すべきであることを明らかにした「死刑制度の廃止を含む刑罰制度全体の改革を求める宣言」を採択した。これを受け、当会でも、2020(令和2)年3月31日、国会に対して最高刑の在り方に関する議論を求めるとともに、その結論が出るまでの間全ての死刑執行の停止を求める会長声明を発出し、これ以降、数次にわたって死刑執行に抗議する会長声明を発出してきた。また、上記宣言や会長声明を踏まえて、これまで、死刑制度を考える会内の勉強会や市民参加のシンポジウムを継続的に行い、死刑制度の是非についての検討及び情報発信に努めてきた。
人の生命は、最も重要な基本的人権である。死刑は、国家が人の生命を不可逆的にはく奪する行為であり、万が一にも、無実の者に対して死刑が執行されれば、取り返しのつかない究極の人権侵害となる。そして、刑事裁判も人が人を裁くものである以上、誤判・冤罪は避けられない。
日本では、これまでにも4件の死刑確定事件について再審開始決定が出され、無罪判決が確定してきたが(免田事件、財田川事件、松山事件、島田事件)、2024(令和6)年9月26日、袴田事件についても再審無罪判決が出された(10月9日に確定)。1980(昭和55)年の死刑確定以降、死刑の恐怖に怯えながら無実を訴え続けてきた袴田巌氏の心中は想像を絶するものがあり、われわれ日本国民全員が、死刑制度の是非を改めて真剣に考え直さなければならない。
さらに、複数の国会議員や学識経験者、警察・検察出身者、弁護士、経済界、労働界、被害者団体、報道関係者、宗教家及び文化人など各層の有識者によって構成される「日本の死刑制度について考える懇話会」は、2024(令和6)年11月13日、報告書を公表し(以下「懇話会報告書」という。)、「現行の日本の死刑制度とその現在の運用の在り方は、放置することの許されない数多くの問題を伴っており、現状のまま存続させてはならない」という基本的な認識を示した。
当会は、基本的人権の擁護と社会正義の実現を職責とする弁護士によって構成される団体として、本決議を行うものである。
- 死刑が生命という最も重要な基本的人権を奪う刑罰であること
すべての人は、ただ人であるというだけで、当然に基本的人権を有しており、その最も根幹にあるのが生きる権利、生命を奪われないという権利である。日本国憲法13条は、個人の幸福追求の源となる生命に対する権利について、最大の尊重を必要とすることを定めている。また、世界人権宣言3条は、「すべて人は、生命、自由及び身体の安全に対する権利を有する」と定め、日本が1979(昭和54)年6月に批准した国際人権規約B規約(自由権規約)6条1項は、「すべての人間は、生命に対する固有の権利を有する。…(略)…何人も、恣意的にその生命を奪われない」と、生命権の不可侵が示されている。
死刑は、この最も重要な権利である生命権を奪う刑罰(生命刑)である。確かに、刑罰の基本は応報にあるが、例えば、「他者の腕を切り落とした者は自身の腕を切り落とすことで償うべき」といった素朴な応報は、残虐な刑罰を絶対的に禁止する日本の憲法下(憲法36条)においては許容されていない。身体の自由を奪う自由刑(拘禁刑及び拘留)や、経済的利益を奪う財産刑(罰金、科料及び没収)とは本質的に異なり、最も重要な権利である生命権を奪う死刑について、残虐ではないとして許容する合理的な説明は見出しがたい。
最高裁は、死刑について、誠にやむを得ない場合に行われる究極の刑罰としている(最高裁昭和23年3月12日判決、刑集2巻3号191頁)。この最高裁判決においても、判決時点では、憲法が「多数の文化国家におけると同様に」死刑制度を是認したものと解されるが、時代と環境によっては、死刑執行の方法が憲法の禁止する残虐な刑罰に該当する可能性が指摘されている。現在、死刑執行の方法としては絞首が採用されているが(刑法11条1項)、事実上の廃止も含めれば、2023(令和5)年末時点で144もの国で死刑が廃止されている現代(上記最高裁判決当時はわずか8か国)においては、絞首は残虐な刑罰に該当すると解すべきであるし、そもそも国家が個人の最も重要な権利である生命権を奪う方法として、残虐ではない「人の殺し方」というものは存在しない(死刑自体が残虐な刑罰に当たる)と考える余地も十分にある。
なお、憲法31条は、「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ…(略)…ない」と定め、刑罰としての死刑を予定しているとも解釈し得る。しかし、この規定も、必ず死刑を存置しなければならないということまで規定するものではなく、死刑を廃止したとしても憲法31条に違反するものではないし、むしろ、上述した他の憲法の規定や世界人権宣言等で示されている生命権の不可侵と整合的に解釈できるものである。
- 生命を尊重し、加害者個人だけに責任を押し付けない社会を目指すべきこと
生まれながらにして犯罪者という人はいない。人が犯罪に至る背景には、家庭環境や生育歴、本人の特性のほか、社会や当人の置かれた状況が犯罪を生みやすい環境かどうか等、様々な社会的要因が大きく影響していることは、私たち弁護士が刑事弁護人として関与する中で痛感させられているところである。罪を犯した個人に対する刑事罰は重要ではあるが、厳罰や死刑によって加害者を威嚇するだけでは防止できない犯罪がある。むしろ、社会全体として、犯罪を加害者個人だけの問題ととらえず、犯罪の生まれた要因が何であるかを問い続け、社会的要因を解消ないし緩和するための努力を続けていくこと、誰もが犯罪に陥ることのない環境を模索し続けていくことこそが重要である。
ところが、最も重要な生命の権利を奪う死刑制度が存在することで、社会の意識が、当該加害者の責任とこれに対する制裁という側面に向かってしまったり、加害者の排除による秩序回復を求めてしまったりすることが指摘できる。
この点、日本の刑罰制度では、刑法等の一部を改正する法律により、2025(令和7)年6月から懲役刑・禁錮刑が廃止されて拘禁刑に一本化される。これは、個々の受刑者の特性に応じた柔軟な処遇を推進し、犯罪をした者等の改善更生・社会復帰を図るものであり、自由刑の在り方が大きく転換されるものと評価できる。当会においても、犯罪を生み出す背景や犯人の更生の在り方に目を向け、よりそい弁護士制度の創設など、更生を支える活動に力を注いでいるところである。
しかしながら、死刑は、日本の刑罰制度において、罪を犯した者の改善更生・社会復帰を指向しない唯一の刑罰であり、排除ではなく共生を目指す拘禁刑の理念と相容れない異質なものである。
したがって、日本は、国家として、すべての人の生命を尊重し、あらゆる生命を社会から完全に排除せず、犯罪を生み出す社会的要因の解消・緩和に取り組み、罪を犯した者に対しても改善更生の道を開くことを通じて、すべての人が尊厳をもって共生できる社会の形成を目指すべきである。そして、このことが、犯罪を防止し、犯罪の被害者及びその家族又は遺族(以下「犯罪被害者等」という。)を生まないようにする社会につながっていくものと考える。
- 誤判・冤罪の可能性が排除できないこと
無実の者に対して死刑を行うことは、国家による、取り返しのつかない究極の人権侵害である。そして、刑事裁判も人が人を裁くものである以上、誤判・冤罪を根絶することは不可能である。この国家による究極の人権侵害を絶対的に防止するためには、死刑制度を廃止する以外に手段はない。
前述のとおり、袴田事件は無罪判決が確定し、長らく確定死刑囚と扱われてきた袴田氏は、ようやく冤罪を晴らすことができた。しかし、袴田氏が身体拘束を受けていた期間は実に47年7か月にも及び、そのうち33年間は確定死刑囚として死の恐怖に直面しながら過ごすことを余儀なくされた。そのため、袴田氏は第一次再審請求審の途中から拘禁反応により心身の不調を来たし、釈放後も妄想の世界にあるなど、袴田氏が受けた損害を回復することは到底できない。再審無罪になったからといって、日本が国家として取り返しのつかない過ちを犯した責任は、決して軽減されるものではない。
これまでの死刑確定事件に関する再審無罪判決は、捜査手法の未熟さや自白の強要などが原因であり、現代において誤判や冤罪の可能性は低いという見解もある。しかし、近年も、死刑事件ではないものの、東電OL事件(1997(平成9)年発生)や湖東記念病院事件(2003(平成15)年発生)など、再審無罪が確定した重大事件は多い。袴田事件の再審無罪判決では、捜査機関による証拠の捏造すら指摘されており、誤判・冤罪の危険は現在でも存在する。
また、現行犯であれば誤判の可能性はないという見解もあるが、前述のとおり、人が犯罪に至る背景には様々な社会的要因が大きく影響しているため、犯人性に争いがない事案でも、こういった社会的要因が犯行に与えた影響をどのように評価するかという量刑判断に誤りが生じる可能性は常に存在する。また、責任能力についても、その判断に誤りが生じることは十分に考えられる。
このように、誤判・冤罪の問題は、人が裁判を行う限り、永遠に付きまとう問題であり、誤判による死刑執行のおそれを完全に断つためには、死刑制度自体を廃止するほかない。
- 国際社会における動向
国際社会に目を向けると、前述のとおり、2023(令和5)年末時点で、事実上のものも含めれば、144もの国で死刑が廃止されている。OECD(経済協力開発機構)加盟国38か国に限って見ると、死刑制度を存置しているのは、日本、米国、韓国のみである。このうち、韓国は、1997(平成9)年以降死刑を執行していない事実上の廃止国であり、米国は、事実上のものを含め、過半数の州で死刑が廃止されている。
国連においては、1989(平成元)年に、日本も批准する自由権規約6条が死刑の廃止に言及していることを踏まえて、生命に対する権利の享受をさらに推し進めるものとして、「死刑の廃止を目指す市民的及び政治的権利に関する国際規約・第二選択議定書」(いわゆる死刑廃止条約)が総会で採択され、2024(令和6)年12月現在で、条約加盟国は92か国となっている。また、2022(令和4)年12月には、死刑廃止を視野に入れた死刑執行停止を求める決議案が、125か国の賛成により可決された。同様の決議は、これで9回目になる。
日本の死刑制度及びこれを前提とする刑事手続に対しては、自由権規約委員会や拷問禁止委員会といった国連の条約機関から、法律上、死刑を科し得る犯罪が多岐に渡ること、死刑判決に対する自動上訴(義務的再審査)の制度がないこと、心神喪失者に対して死刑が執行されないことを確実にする制度がないことなどについて、繰り返し改善が求められてきた。
このような国際的潮流は、上述した基本的人権の尊重、生命権の不可侵という価値観が普遍化してきていることに基づくものといえる。
これに対しては、主権国家たる日本には、国民感情や刑事政策を踏まえて自主的に刑罰制度を定める権限があり、国際社会の動向に従わなければならないものではないという意見もある。
しかし、インターネット等の普及により犯罪のグローバル化も進む中で、日本は、死刑制度の存在等が障壁となって、米国と韓国以外に、外国との間で犯罪人引渡条約を締結してもらえず、ひいては罪を犯して海外に逃亡した者の引渡しを拒まれることにもつながっている。日本には日本のやり方があると強硬に主張することで、現にこのような不都合が生じ、犯罪者を罰することができないという不正義を見過ごすことは、社会正義の実現を目的とする弁護士によって構成される団体として容認できない。
日本が、国際社会の中で名誉ある地位を占めたいと願うならば、刑事司法領域においても国際情勢に視野を広げて検討することが重要であり、人権を巡る国際的な動向を軽視すべきではない。
- 代替刑を導入すべきこと
死刑制度を廃止することに対しては、これに代わる刑罰(代替刑)がないまま死刑を廃止して現在の無期懲役が最高刑になると、現行制度上、受刑開始から10年で仮釈放が可能となるため(刑法28条)、最高刑として軽すぎるのではないかという疑問が呈されることがある。
ただし、2022(令和4)年に新たに仮釈放された5名の平均受刑在所期間は45年3月であったし、仮釈放がされないまま獄中で死亡するケースも多く、現実には、仮釈放までの期間は相当長期化していることは念頭に置かれなければならないが、当会としても、死刑の廃止とともに代替刑を導入すべきと考える。
代替刑に関して、日本弁護士連合会は、前述した死刑制度廃止等を求める宣言を踏まえ、2022(令和4)年11月15日、理事会において、「死刑制度の廃止に伴う代替刑の制度設計に関する提言」を決議した。この中では、死刑に代わる最高刑として、仮釈放のない終身拘禁刑を創設すること、ただし、この場合でも、改悛の情が顕著に認められるなど一定の要件を充足する受刑者については、その刑を仮釈放制度の適用のある無期拘禁刑に減刑する特別の司法手続を創設すること等が提言されている。
当会としても、大枠として上記提言に沿った代替刑が導入されるべきと考えるが、これに当たっては、国際人権規約B規約(自由権規約)7条(何人も、残虐な、非人道的な刑罰を受けないこと等を定めた規定)及び10条(自由を奪われたすべての者は、人道的にかつ人間の固有の尊厳を尊重して取り扱われること、行刑は被拘禁者の矯正及び社会復帰を基本的な目的とする処遇を含むこと等を定めた規定)の趣旨を踏まえる必要がある。
減刑に関する司法手続が、上記趣旨を踏まえた実効的なものとなるよう、制度上及び運用上、十分な措置が講じられるべきである。
- 犯罪抑止効果について
死刑制度を存置すべきという根拠の1つとして、生命を奪うという死刑があることによって凶悪犯罪を抑止できるというものがある。
しかし、国連の委託によって行われている死刑と殺人発生率の関係に関する研究では、「死刑が終身刑よりも大きな抑止力を持つことを科学的に裏付ける研究はない。そのような裏付けが近々得られる可能性はない。抑止力仮説を積極的に支持する証拠は見つかっていない」との結論が出されている。
これに対し、日本では、死刑と犯罪抑止力に関する研究自体がほとんどされておらず 、死刑による抑止効果を科学的に検討・検証しようという姿勢自体が乏しい。
このほか、死刑廃止国でも、廃止の前後で重大犯罪の発生率が増加したという報告は見られず、死刑に特別の犯罪抑止効果があるという見解には疑問が残る。科学的根拠に乏しい抑止力仮説を根拠として、最も重要な基本的人権である生命を奪うことは容認し難い。
さらに、前述したとおり、人が犯罪に至る背景には様々な社会的要因が影響しており、死刑による威嚇で、これらの要因を解消ないし緩和することはできない。
- 犯罪被害者等の支援との関係について
⑴ 死刑制度の廃止と犯罪被害者等支援は両立し得ること
犯人の身勝手な欲望の赴くままに奪われた被害者の生命はかけがえのないものであり、その被害は取り返しがつかない。犯罪被害者等の苦しみややり場のない憤りは筆舌に尽くし難いものであり、加害者に対して生命をもって償うことを望むという心情も、極めて自然といえる。当会としても、その心情に向き合うことを議論の大前提としなければならないものと考えている。
しかし、国の施策としての刑罰制度は、犯罪への応報にとどまらず、一般予防及び特別予防の観点、再犯防止のための加害者の更生と教育の観点等を加えて検討されるものであり、死刑制度の存廃は、その目的のために、生命という最も重要な基本的人権を国家として奪うことが許されるかという問題である。
そもそも、犯罪により平穏な生活を害された犯罪被害者等が、被害から立ち直り、自立して生きていくことは、個人の尊厳と人格的価値の尊重を宣言した憲法第13条等によって保障された憲法上の権利であって、犯罪被害者等基本法3条も、このことを確認したものと解すべきである 。
このような犯罪被害者等の権利は、犯人に対する処罰とは無関係に保障されるものであり、懇話会報告書においても、被疑者・被告人の側に立つか、犯罪被害者等の側に立つかという二項対立が議論を支配するような不毛かつ不幸な状況から脱却することが求められると指摘されている。犯罪被害者等の上記権利行使を支援することも弁護士の重要な使命であり、弁護士会が死刑制度の廃止を求めるからといって、個々の弁護士の活動を拘束するものでもない。また、弁護士会が、上記使命に照らして、関係機関と連携して犯罪被害者等支援業務を行う個々の弁護士の活動を支援し、国や地方自治体に対してその支援の拡充を求め、さらに犯罪被害者等を支援する社会を形成していくための活動を行うことは当然である。
当会としては、今後も犯罪被害者等支援業務を行う弁護士の活動を支援するとともに、関係機関との連携を強化するなど犯罪被害者等を支援する社会を形成していくための活動をさらに推し進めていく所存であるが、そのことと、国の司法制度及び刑事政策のあり方として死刑制度を廃止すべきことを求めることは両立し得るというべきである。
⑵ 犯罪被害者等の多様な心情・ニーズに寄り添った犯罪被害者等支援がきめ細やかに行われる社会であるべきこと
犯罪被害者等の心情・ニーズは、個々人によって異なり、また、一人の犯罪被害者等の心情も被害直後、刑事裁判中、裁判終結後という時間の経過やその間に受けられた支援によっても変化するものであって、犯罪被害者等支援は、それぞれの犯罪被害者等の多様な心情・ニーズに寄り添い、きめ細やかに行われるべきである。
しかし、死刑制度が存在することによって、社会の意識が、当該加害者の責任とこれに対する制裁や処罰感情という側面に向かってしまい、社会全体として、犯罪の要因を探究して社会的要因を改善したり、犯罪被害者等の多様な心情・ニーズを理解したり、その支援を担ったりするという意識が薄れてしまうとすれば、それは犯罪被害者等支援の更なる拡充の支障にもなりかねない。
懇話会報告書では、日本において、上記のような二者択一的な議論が行われることの一因は、ヨーロッパと比較しても、犯罪被害者等への支援が不十分であり、悲しみと苦しみの極にあって孤立した遺族が、犯人に対し、究極の刑たる死刑が科されることを望まざるを得ない状況が生じているところにあると分析されている。一方で、早期に適切な支援を受けられた犯罪被害者等は、心情が安定し、加害者に対する処罰感情が和らぐとの調査結果もある。
また、犯罪に至った要因は、刑事裁判の中で全てが明らかになるとは限らず、判決後相当の期間を経て、加害者の心情が変化し、事件の真相や犯罪に至る要因が解明されていくということも少なくない。死刑が執行されることで、このような事後的な検証、とりわけ加害者による犯罪要因解明の機会が失われ、犯罪被害者等が事件の真相を知りたいと考えたときに、その希望が叶えられない可能性も生じ得る。
このように、犯罪被害者等に必要な支援は個々の被害者によって異なり、また、被害からの時間経過等によっても変化するものであって、犯罪被害者等の多様な心情・ニーズに寄り添った支援がきめ細やかに行われる社会とするためには、死刑制度の廃止と犯罪被害者等支援の双方を推し進めることが重要である。
- 結語
死刑の存否をめぐる議論は、上記以外にも様々なものがある。当会の中にも、会員個人には様々な価値観や意見があるところである。しかし、前述したとおり、弁護士は、基本的人権の擁護と社会正義の実現という使命に基づき、法律制度の改善に努力する責務を負っており(弁護士法1条)、当会としても、この責務に基づいて、これまで継続的に死刑制度に関する勉強会を開催し、望ましい刑罰制度の在り方について検討を重ねてきた。改めて、当会は、上記責務を負う団体として、罪を犯した者の改善更生の道を閉ざすことなく、すべての人が尊厳をもって共生できる社会を目指すべきことを表明する。
以上の理由から、当会は、政府及び国会に対し、死刑の執行を直ちに停止し、速やかに死刑制度を廃止するとともに、これに代わる刑罰を導入すべきことを求める。
2025年2月28日
山梨県弁護士会