声明・総会決議
民法(債権関係)の改正に関し慎重な国会審議を求める意見書
第1 意見の趣旨
山梨県弁護士会は、国会に対し、「民法の一部を改正する法律案」(債権関係)につき、慎重な審議を行うよう強く求める。
第2 意見の理由
- 民法(債権関係)の改正に関する山梨県弁護士会の対応と法制審議会の審議手続
(1) 山梨県弁護士会の対応
山梨県弁護士会(以下「当会」という)は、平成23年5月13日、法制審議会(以下「審議会」という)に対し、次の理由から、「民法(債権法)改正の審議を、東日本大震災の復興が実現するまで完全なる凍結」することを求める旨の総会決議を行った。第1に、審議会は、震災の復興に関する立法策定作業に専念すべきだからである(現在震災から5年が経過しようとしているが、未だ復興への途が半ばであり、個別の法的紛争も多数未解決である)。第2に、基本法である民法の改正は、特に慎重な審議を経てなされるべきだからである(民法は、国民生活を規律する基本法であり、113年にわたり運用され、その間多数の判例や通説が形成され強固な法的安定性を有しているのだから、改正を必要とする明確かつ実証的な立法事実が存在しないにもかかわらず、法的安定性を著しく損なうような改正を安易に行うべきではない)。第3に、国民の多様な意思を集約しなければならないはずの審議会(民法部会〔債権関係〕)の構成において、民法を直接取り扱う弁護士、企業・労働団体・消費者団体等の民間出身者の委員が著しく少なく、委員・幹事等の選任手続が不公正になされているからである。第4に、審議会の審議は、壊れていないものを比較法的学問的見地から改正しようと試みているからである(※1)。
その後、当会は、「弁護士の声を民法改正に反映する会」と共催して、全国の弁護士に対し、民法改正について、アンケート調査をしたところ、回答した2000名の弁護士の内1468名(73・4%)が改正の必要がないとの回答であった(改正の必要ありとの回答は、190名(9・5%)にすぎず、当会でも、回答した74名に対し2名(2・7%)であった)(※2)。
さらに、当会は、審議会に対し、「民法(債権関係)の改正に関する中間試案」(以下「中間試案」という)が決定されパブリックコメントが実施された後の平成25年11月9日に、「民法(債権関係)の改正に関する要綱仮案」(以下「要綱仮案」という)が取りまとめられた際には改めて、「民法(債権関係)改正に関するパブリックコメントを再度募集することを求める会長声明」を出し、要綱仮案が確定した後の平成26年12月6日に、「民法(債権関係)改正の『要綱仮案』についてパブリックコメントを実施するよう求める意見書」を発出した。
(2) 法制審議会の対応
しかし、審議会は、要綱仮案が、中間試案に比し、大幅に内容が変化しているにもかかわらず、パブリックコメントを実施せず、要綱案の決定及び要綱の決定(法務大臣への答申)を行った。そして、平成27年の通常国会に「民法の一部を改正する法律案」として提出されており、平成28年の通常国会で継続審議がなされることになっている。
これまで、審議会は、国民に大きな影響を与える民法の改正に関し、丁寧に国民の声を聞いた上慎重に改正手続をすすめる姿勢を全く欠いてきた。すなわち、①平成23年3月11日に発生した東日本大震災や福島原発事故で社会が大混乱に陥りそれが未だ終息していない中、「民法(債権関係)の改正に関する中間的な論点整理」の第1回のパブリックコメントを、当初計画をわずか2か月遅らせたのみで、平成23年6月1日から8月1日に強行し、②事前に公表すべき中間試案の補足説明を中間試案に対するパブリックコメントが始まる当日である平成25年4月16日に公表し、③中間試案の最終案について審議会民法部会の議事録が公表されていない中、中間試案に関する第2回のパブリックコメントを平成25年4月16日から6月17日まであえて強行して実施した。
当会は、こうした審議会の姿勢に関し、市民生活を規律する基本法である民法改正の重要性に鑑み、一貫して国民の側に立ち、総会決議や会長声明で、審議の凍結や慎重な手続・審議をするよう求めてきた。
注 ※1山梨県弁護士会の「民法改正に関する総会決議」・法律時報83巻8号55~57頁 ※2加藤雅信名古屋大学名誉教授『迫りつつある債権法改正』58頁注(28)
- 民法改正法案について
(1) 提案理由
国会に提出されている民法改正法案の提案理由について、法務省は、「社会経済情勢の変化に鑑み、消滅時効の期間の統一化等の時効に関する規定の整備、法定利率を変動させる規定の新設、保証人の保護を図るための保証債務に関する規定の整備、定型約款に関する規定の新設等を行う必要がある。これが、この法律案を提出する理由である。」と付している。
マスコミでは、「民法改正答申 消費者保護 鮮明に」(※1)、「民法法制審答申 消費者重視へ大幅改正」(※2)、「消費者保護の観点も多く盛り込まれている」(※3)と報道されたが、民法学者の間では、消費者保護とのマスコミ報道はミスリーディングであるとの批判があり(※4)、審議会民法(債権関係)部会委員が自ら、「マスコミの多くは、今回の改正が消費者保護を重視したと報じている。しかし、これは誤解を招くおそれがある。…改正案は消費者保護の視点からでない基本ルール整備を内容とする。」と指摘していることからも(※5)、民法改正法案が消費者保護であるとの報道は不正確であるといえる。
むしろ、「学理的な発想で提案され、学理的な問題意識で分析されて出来上がった改正案で、現実の検証不足と思われるものがなお目立つ」問題の多い改正案であるといえる(※6)。
注 ※1読売新聞平成27年2月25日 ※2毎日新聞平成27年2月25日 ※3朝日新聞平成27年2月25日 ※4河上正二東京大学教授・法学セミナー平成27年7月号104頁、角紀代恵立教大学教授・金融・商事判例1472号1頁、上記加藤名誉教授『迫りつつある債権法改正』32頁 ※5松岡久和京都大学教授・日本経済新聞平成27年2月20日 ※6池田真朗慶応大学名誉教授・世界平成27年2月号259頁
(2) 民法改正法案の問題点(内容について)
民法改正法案に関し主要な点について問題点を指摘する(なお、詳細は別紙参照)。
第1に、債権の消滅時効である。債権は、①債権者が権利を行使することができることを知った時から5年間行使しないとき(主観的起算点)、または、②権利を行使することができる時から10年間行使しないとき(客観的起算点)に時効によって消滅するとされ、現行法の職業別の短期消滅時効は廃止される(民法改正法案166条第1項。現行民法170条から174条までを削除)。しかし、現行法では、契約上の債権は客観的起算点から10年間の消滅時効とされていたものが、改正法では主観的起算点から5年間の消滅時効にかかると規定されたがために、5年が原則で10年が例外となる運用がなされる結果、国民に著しい不利益となる可能性がある(※1)。消滅時効が原則5年で完成するとされたとき、信頼を旨とし権利行使を機敏に行わない国民性からすれば、消滅時効により債権を行使できなくなる国民が増大する可能性があるからである。
第2に、個人保証である。①事業のために負担した貸金等債務を主たる債務とする保証契約、または、②主たる債務の範囲に事業のために負担する貸金等債務が含まれる根保証契約について、公正証書で履行する意思を表示しなければその効力を生じないと規定した(民法改正法案465条の6第1項)。しかし、「今回のような改正がなされれば、金融業者としては、公証役場まで来てくれた保証人となろうとしている人に、執行受諾文言付きの公正証書の作成を求めるであろう」(※2)。情誼的な義理人情で保証人になった者に、保証契約のみならず根保証契約についてまでも、執行受諾文言付きの公正証書を締結させることを容易にする今回の改正は、金融業者に裁判手続を経ずに債務名義作成への道を作ることになり、他人の事業に保証を求められる個人に対し慎重な考慮を求めることになるというよりもむしろ、困窮する者を増加させる可能性がある。それ故、現行法に比べ「消費者保護」を大幅に後退させる改正といえる。
第3に、定型約款の規定である。①約款概念が狭すぎ、従来問題とされてきた約款問題のかなりの部分がカバーされないうえ(事業者間取引のほとんどがここには該当しない可能性もあり、専ら消費者約款が念頭におかれることになろうが、それについても多くのものが抜け落ちる)、②定型約款の個別の条項について、相手方の約款内容に対する同意の要素を完全に否定し「合意をしたものとみなす」としている。③定型約款の開示に関し、事後の相当な期間内に相手方から請求があった場合に示せばよいという開示方法が認められ、また、④約款の一方的変更を可能にした(※3)。その結果、「約款にかんしていえば、今回の債権法改正は、『消費者保護の切り札になることが期待される』法改正ではなく、『事業者保護の切り札になることが期待される』法改正」になっている(※4)。
注 ※1吉田邦彦北海道大学教授・判例時報2270号8~9頁参照。 ※2上記加藤名誉教授・消費者法ニュース101号111頁 ※3上記河上教授・法学セミナー平成27年7月号104~105頁) ※4上記加藤名誉教授『迫りつつある債権法改正』19頁
- 結語
日本弁護士連合会も、国会に法案が提出された後、「本改正法案には、なお不十分な点もあるので、国会において、これを踏まえた十分な審議が行われることを要望する。」(平成27年4月3日の会長声明)として、個人保証、約款ルール、消滅時効、相手方惹起型の動機の錯誤の4点について、十分な審議を行うことを要請している。
言うまでもなく、基本法が大改正された場合、直接その影響を受けるのは国民である。この度の改正案に至る経過が不明瞭であることに加え、前述のような問題点が山積したままでは、国民の納得は到底得られない。このような事態を招いた原因は、審議会の立法事実なき机上の議論、法的安定性を全く無視しスケジュールありきで先を急いできた審議会の運営にあることは明らかであろう。よって、多くの問題点を含む民法改正法案を安易に成立させるべきでなく、国会は、廃案も視野にいれ慎重の上にも慎重な審議を行うべきである。
別紙はこちらから
2016年3月24日
山梨県弁護士会
会長 關本喜文